ガーナレポート③ 「ちがう」ということ
町内の子どもたちへの『ガーナのじゅ業』の中で、自分の手のひらに貝殻をのせながら、この写真を見せた。
子ども「ぜんぜん ちがうね。」「すごい色だね。」
私「そう。私たちはやっぱり自分の手の色に慣れているから、違うとびっくりするね。でも同じように、ガーナの人は、私の手の色の方が珍しいんだよ。白いね!とびっくりするんだよ。」
子ども「へ〜! この手の色にびっくりするんだ…」 自分の手を見たり。
私「手の色も、髪の毛がまっすぐなことも、珍しいんだよ。でも、ぜんぜん違う私に、やさしくしてくれたよ。これは、私が貝殻を拾っていたら、ガーナ人の男の子が「これもいる?」って貝殻を拾って、「洗った方がいい?」って、洗って持って来てくれた時の写真。「ありがとう。日本の子どもたちにあげるね」と言ったら、にっこり笑ってくれたよ。」
ちがいがいっぱいあっても、仲良くなれる。世界には、ちがいがいっぱい。ちがいがあるのは、ふつうのこと。ちがいを知るって、おもしろいな。そんなことを、子どもたちに伝えることができていたら、うれしい。もちろん世界じゃなくても、身近なところにもちがいはたくさんあって、そんな何かの気づきにもなれば、さらにうれしい。
この、明らかな肌の色の違い。国籍の違いよりも、とにかく、もっとくっきりはっきりと、違う。「黒人」と「白人」。この明らかすぎる違いが、本当に、ただただ当たり前の「違い」として、ごく普通に、存在し認識されている。肌の色を話題にするということ、それだけでも違和感があって、さらに「黒人」「白人」という言葉には、禁句的なニュアンスさえ感じていた私にとって、ガーナの人たちのあっけらかんとした感じは、とてもとても新鮮だった。
「オブロニー(白人の現地語)」って、子どもから大人まで(たぶんこれは人気者的に)呼びかけられるけど、それは「自分たちは黒人」という意識があるからこそ。自分たちと違うから白人が目立つし、珍しい。実際、「君たちは白人。僕たちは黒人。ははは」みたいな、「オブロニ」「アベビニ(たしか…黒人の現地語)」という言葉が、ごく普通に会話に出てきたりする。ぜんぜん深刻じゃなく笑顔で。
ガーナ人のアーティストが描く「人」は、肌の色が黒や茶色。だってその色なんだから。当たり前。
そっか。「黒人・白人」は、「足が大きい・小さい」ぐらい、ただの「違い」なのかー。触れてはいけない遠い存在のものじゃない。日本語の「黒人」「白人」という言葉に勝手に「禁句的なニュアンス」を感じていること自体が、きっと彼らにとっては違和感であり、新鮮な感覚であり、それも、大きな「違い」なんだな。私の(日本の?)人権意識としては、それでも言葉などに配慮すべき場面はあるとは思う。でも、配慮なんていらない「ただの違い」とみんなが感じられるなら、その方がもっとすごいことなんじゃないか。
もちろん「ただの違い」になるまでには、忘れてはならない歴史があり、きっと今も完全に「ただの違い」ではない部分もたくさんあると思う。でも、ガーナの人たちの肌の色の違いに対する「あっけらかんとした感じ」を私が感じたのは事実で、本当に新鮮で、すごく大切なことを教えてもらったと思う。さまざまな歴史の中で、たくましく、しなやかに生きてきた彼らの大らかさが、全てを包み込んであっけらかんとした感じ、につながっているような。ガーナの人たちの穏やかな笑顔と、この感覚に出会えたことに、心から感謝です。ありがとう、ガーナ。
肌の色のちがいなんて、ふつうのこと。みんな、地球人。
ガーナレポート② 全員しゃべってる!!!
都会なアクラ
「穏やか・フレンドリー・生きる力・平和」が、私にとっては印象的で魅力的なガーナ。概してガーナ素敵!と感じたことを、まずは伝えました。が、だけどもちろん、そんな美しさだけでない側面もあって。首都アクラは、「フレンドリー」がしつこい(?)ほど、と書いたけど、本当のところ、ただフレンドリーというか…
アクラは、とにかく人が多くいそがしい。当たり前に、みーんなが黒い肌のガーナ人の中で、常に浴びる「外国人」としての注目。どれだけ日焼けしたって、アジア人も黒人ではなく白人。常に浴びる「オブロニー(白人)」「チャイナ」「ニーハオ」「チンチョンチャン※」の声。※意味はないらしい。中国語を真似た中傷。
日本人の感覚として、「あ、外国の人」と思ったとしても、それは心の声。でもガーナ人、全て、声に出ちゃってますから。しかも大声。人・人・人のマーケット、気づけば、「全員しゃべってる!!!」。ガーナ人同士もよくしゃべりよく笑う、というのも相まって、本当に、笑えるほどに、視界に映る人が「全員しゃべってる!!!」。それ自体は笑える状況だけど、でも、人々の声の中から、ひっきりなしに聞こえるヤジというか何と言うか…
ただ騒ぐように、どちらかと言えば人気者的(?)に「オブロニー」って言っている場合もあるけど、「チャイナ」や「ニーハオ」は、中傷が含まれているのが分かる。「私は日本人だ」とふだん意識しているわけではないのに、「中国人」と言われるのは、なんかとても嫌な気分なんよねぇ。
さてこの「チャイナ」の声に、だまるか、立ち向かうか。
一番楽なのは、無反応。目も合わせない、応えない、聞こえないフリ。
だけどこれは、本当に聞こえていないのか。聞こえているけど気にしていないのか。本当に中国人だから納得しているのか。なんにも、伝わらない。
立ち向かうとなると、「ちがう!日本人だ!(怒り口調)」と、嫌な気分を伝える。もしくは、「日本人だよ。そうやって言われると嫌な気分だよ。」と、丁寧に伝える。さらにハイレベルなのが、「チンチョンチャンって意味分かってる?分からんなら使うべきでないよ。」など、彼ら側に立って考えて、伝える。立ち向かうには時間もかかるし、何よりエネルギーと語学力がいる。言葉にするには、まずは嫌な気分を一度落ち着けないといけない。ここで、「日本語で怒る」という方法もある。とりあえず、嫌な気分は伝わる。だけど、やはりこれも時間とエネルギーは必要。
たまになら、時間とエネルギーを使ってでも、伝えようと思える。伝えることが、自分がその場所にいてその人と出会った意味にもなり得ると思う。「暗黙の了解」とか、「空気をよむ」とか、そんなものはない。伝えないと、伝わらない。
でもねぇ…
常に、ですから。
いや、ちょっと語弊があるかもしれないので、追記。「常に」と感じるほどに、頻度が高くなったときは。かな。
全員しゃべってる全員に、応えるなんて不可能。そもそも、現地語もできない、英語力も不十分となると、やっぱり無難な無反応を選ぶしかない。しかし時間はかからない無反応であっても、「無視する」のが「いいこと」でないのは分かっていて、それを意図的にやっているわけで…
とにかく、心が鍛えられます。
イラっとしてしまう自分とのたたかいでもある。
だから、それをさらりとやってのけて(もちろん奮闘・葛藤の末だろうけど、さらりと見えることがまたスゴイ)、時には、きちんと時間とエネルギーを注いで立ち向かったりもして、ネタにして笑い合って、そんな状況とうまくつき合っている、ガーナ隊員のみんなを、本当尊敬します。心折れることも、引きこもりたくなることも、あると思う。それでも暮らしていくには、状況とつき合うしかないもんね。みんな、たくましい。
この、常に「外国人」として注目され続ける経験。アクラの人ごみでの、常に「声」をかけられ続ける経験。これは、いろんな人種がいて当たり前の国や、アジアや、特にモンゴル顔の私がモンゴルで暮らす中では、絶対に味わえない。
まさに、異文化!!!!だった。
この感覚を体感できたことは、大きな財産だと思う。
一度だけ、意識的に立ち向かってみた場面を、最後に紹介。
マーケットの人ごみの中で、10歳ぐらいの少年が、すれ違いざまに「ニーハオ」って、ニヤッて笑いながら言ってきた。私はちょっと立ち止まって、彼の目を見て、「こんにちは」って、ゆっくりはっきり応えてみた。きょとんとして立ち止まる少年。を横目に、そのまますれ違って歩き進めていたら、彼が早足でもどってきて、追い越しざまに「こんにちは」って、私の目を見て、ちょっとはにかみつつ、言ってくれた。
なんか、すごーく、あったかい気持ちになった。伝えるっていいなぁと、思ったのでした。
写真は、その少年じゃないけど、このお兄ちゃんぐらいやったな。この3兄弟は、北部のボルガタンガで出会った子たち。
ちなみに北部の人々は、また南部とは全く違って、全員しゃべってる、ということはなく、みんな穏やか。目が合えば微笑んでくれるけど、声はかけてこない。そんな違いも、ほんとおもしろい!
ガーナレポート① まずは、いいなぁ〜と感じたこと
ガーナで感じたこと、いろいろ。
久しぶりのここに、まとめてみることにします。自分への、備忘録としても。
まずは、Facebookにも上げた記事を転記。
*********************************************
感動がさめないうちにと思いつつ…すでに降り立った日から1ヶ月!!
ガーナのいろいろを、少しずつ^^;
初めてのアフリカ大陸、ガーナ。
12日間を過ごした私の印象は、
「穏やか・フレンドリー・生きる力・平和」
もちろん見えていないものもたくさんあるとは思うけど、なんというか、人々があせってない。
みんな、よく話しよく笑っていたなぁと。
北部のタマレ→ボルガタンガ→カンジャガや、南部のアクラ→エサァーチレ→ケープコーストの道中、
車窓に流れる風景や人々の暮らしが本当に魅力的で、何時間も飽きることなく眺めてた。
延々と続く道を、着実にしっかりと、背筋をピンとのばして、
頭に荷物をのせて歩く姿は、まさに「地に足をつけて生きる」という感じで、
力強くてしなやかで、憧れるほどかっこいい。
大きな木の下に人々が集まって、話して笑ってる風景が大好きやった。
水汲みの子も、子守りのお姉ちゃんも、
炭焼きのお母さんも、トウモロコシ運びのお父さんも、
みんな目が合えば微笑んでくれる。
何より、どこにでも子どもがいっぱいいて、
大人も一緒に笑ってるのがいい。
質素だったり不便だったり歩みが遅かったり、
それは発展の対極かもしれないけど、豊かさの対極ではなくて。
もしかしたら「平和」は、こんな暮らしにこそ近いんじゃないか、とさえ感じてしまう。
楽観的かもしれないけど、でもそう思わせてくれるほど、ガーナの人々は幸せそうに見えました。
ガーナ、いいところ!
まずは全体の印象。
首都アクラは、「穏やかさ→活気」で、
「フレンドリー」はしつこい(?笑)ほど…
など印象が異なるし、まぁもちろん、それだけでない面もあるけども。
また追々つづきを〜